ブラジルニュース アペルトジマオン|ブラジル経済・ビジネス・文化・生活・サッカー・音楽・旅行等、ブラジルニュースを収集・発信

日系ブラジル人社会 外国人支え合い

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • このエントリーをはてなブックマークに追加




日本のブラジル人コミュニティ。リーマンショック、その後の震災と大きな変化を迎えているようですね…大人はよいとしても、子供が被害者になることはあってはいけないですよね…

—————————————————————————————————
■日系ブラジル人社会 外国人支え合い

◆多文化交流、輪広がる…美濃加茂にみる
 美濃加茂市は、人口の1割近くが外国人。大手メーカーの工場やその下請けが集まるためで、とくに多いのが日系ブラジル人だ。大量の失業者を出した2008年の「リーマン・ショック」から4年。ブラジル人のコミュニティーは、どう変わっただろうか。

◆補助縮小、自立を模索
 9日夕、多文化交流センターで、日本語交流サロンが始まった。
 「中国のどこから来ましたか」「趣味は何ですか」
 毎週土曜に開かれ、この日は日本語を学ぶブラジル人や中国人、日本人10人が集まった。コーヒーとブラジルのお菓子を片手におしゃべりを楽しんだ。
 同センターを運営するのはNPO法人「ブラジル友の会」。2000年の設立で、在日ブラジル人の子どもたちのための語学教室が始まりだった。リーマン・ショック後は市などから委託を受け、外国人向けに生活相談などを実施している。
 これまではブラジル人が中心だったが、今は「多文化交流の拠点」としての役割を強めようとしている。今月から中国人女性たちの団体「美濃加茂華友会」がレストランを開き、手作りギョウザなどを振る舞っている。日系ペルー人が出店した衣服店も人気だ。
 実は今年度、ブラジル友の会は活動縮小の危機にある。国の緊急雇用創出事業の期限が終了したため、補助金はこれまでの5分の1程度に減額された。このため、毎日実施していた生活相談は週3回に減った。
 資金繰りをどうするか。関係者が頭を抱えるなか、会を支えようと、市内の外国人たちがセンター内のテナントに次々と出店した。
 美濃加茂華友会の山田亜光(ヤー・グァン)代表(32)は「美濃加茂市にはたくさんの外国人がいる。多文化交流に関心を持つ人たちがもっと気軽に訪れる場所にしたい」。ブラジル友の会の渡辺マルセロ理事(33)は「ここは大切な拠点。知恵を出し合い、みんなで維持していきたい」と話す。

◆各種学校で高校生増
 「パラベンス!(よくできました)」。5月下旬、ブラジル人学校「イザキ・ニュートン・カレッジ」。堀籠マサヨ校長(42)によるポルトガル語の補習授業だ。
 日本の学校から転入した生徒を対象に、放課後に毎日4時間行われる。正規の授業についていく語学力をつけるのが目的だ。小6~高2の8人が熱心にテキストを読み込んでいた。
 本国の教育制度に合わせて授業をするブラジル人学校。不況のあおりで各地で閉鎖が相次ぐ中、同校は全国でも数少ない県認可の各種学校になった。高校無償化の対象となるため、昨年より高校生が10人ほど増えた。母国語が不自由な生徒たちに、堀籠校長が始めたのが補習授業だった。
 開校の翌年にリーマン・ショックがあり、一時は生徒数が半減した。現在は約200人。リーマン・ショック後も日本に踏みとどまった家庭が中心だ。一方、「将来を決められない子たちも多い」と堀籠校長は指摘する。
 生徒たちは卒業後、本国で進学するか、日本で就職する例がほとんどだという。だが今春、卒業生が初めて県内の短大に進学した。これを受けて日本での進学を希望する生徒が増え、選択肢が広がった。
 高1の鈴木リビア由美さん(15)は10年前に来日、日本の公立中からブラジル人学校に進学した。今は両親と母国語で話せるようになったと喜ぶ。「将来の夢は通訳。ブラジルか日本の大学かまだ迷っている」

◆リーマン後に激減
 県内に住むブラジル人は3月末現在、1万3180人(県調べ)。1988年には80人程度だったが、90年の出入国管理法改正以降に急増。2007年には2万1千人に迫った。
 ところが08年のリーマン・ショックで激減。帰国や県外転出で、年間約3千人規模で減り続けている。10年7月には中国人の登録者数が初めて上回り、県内最多の座を譲った。
 一方で、ブラジル人の日本への永住志向は高まっている。永住権を持つブラジル人は01年の約6倍に増え、10年末で8562人(法務省調べ)になった。

◆記者の視点…日本社会で夢と自信を持って
 「日本に住む日系人の子どもたちは自己肯定感が低い」と「ブラジル友の会」の渡辺さんは指摘する。工場勤務、教師、通訳など、知っている職業の幅が狭く、将来を描きにくい状況にあるという。
 来年は岐阜県からブラジルへの移民100周年。渡辺さんたちは、海外で活躍した県ゆかりの100人を取材し、まとめる計画だ。自身のルーツを知り、子どもたちに夢と自信を持ってもらうためだ。
 「外国人だから」と萎縮していた経験が私にもある。勇気づけてくれたのは行政や団体の人たちだった。多くの外国人が住む県内で、今後も様々な取り組みを取材できればと思う。
     ◇
(安 仁周。2008年入社。岐阜に来て1年。韓国・ソウル出身の27歳。)

http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000551206110001