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土光敏夫(20)ブラジル進出(上) まず造船所拡充の以来 衝突にびくともせぬ船体評価

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IHIの土光敏夫さんの「私の履歴書」連載記事の第1弾ですね。ここまでだとまだブラジルに関しては触れられていませんが、おそらく次かその次あたりには…^^

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■土光敏夫(20)ブラジル進出(上) まず造船所拡充の以来 衝突にびくともせぬ船体評価

 昭和28年(1953年)7月、朝鮮戦争の休戦が成立すると、造船業界にはまたも不況が訪れた。この不況を、政府は大幅な利子補給をして支えてきた。この利子補給に関連してリベート金が政界に贈賄されたとして、例の造船疑獄事件が起きたのである。

 この事件は、ときの吉田政権下の犬養健法相が「指揮権」を発動して自由党幹部の逮捕を中止させたことであまりにも有名であるが、検察側が取り調べた政、官、財界人は総勢8200余人にのぼり、逮捕された者105人という未曾有の事件であった。

 私は、造船会社社長の一人として逮捕され、拘置生活20日間のうき目にあった。朝、6時過ぎ、いつものように自宅前のバス停でバスを待っていた時、東京地検の検事が来て、「ちょっとお宅まで戻って下さい」といわれ、2時間ほどの家宅捜索を受けたのち、任意出頭を命じられた。東京地検の主任検事は、河井信太郎氏であったが、私の担当は、寺島検事であったかと思う。

 担当検事はのちに、私の家のボロ屋と電車通勤している姿をみて、「あっ、この人は違うなと直感した」と、記者団に語ったそうだ。

 しかし、私は20日間の牢獄のなかで改めて教訓を得た。「人生には予期せぬ落とし穴がついて回る。公私を峻別して、つねに身ぎれいにし、しっかりした生き方をしておかねばならない」ということである。

 結局は「関係なし」になったわけだが、拘置生活は、私にとって多忙から離れた久々の休養となり、牢獄からながめた青い月が妙に美しかったことを覚えている。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120827/320875/