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コカレストランジャパン・小島由夫社長 腹くくり日本に“タイ料理”広める! 


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1991年に渋谷にシュラスコレストラン「バッカーナー」をオープンさせたコカレストランジャパンの社長の経歴というか生い立ちです。人生というのは面白いですね。今後は「後継者を育て、世界放浪の旅に出たい」とのことなので、再度ブラジルに足を運んで新たなレストランを日本に誘致してくれることを期待したいと思います^^

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■コカレストランジャパン・小島由夫社長 腹くくり日本に“タイ料理”広める! 

 「コカレストランジャパン」(東京都港区赤坂)社長で、「レストランワンダーランド」(新宿区)代表の小島由夫氏(60)は今から30年ほど前、大洋漁業(現マルハニチロ水産)の社内起業家として海外から人気レストランを誘致、成功させた“異色の経営者”である。

 「大洋漁業の創業者一族の太っ腹な決断と支援のおかげで、現在の成功があります。2年半前には退職金代わりに当社の株を譲り受け、名実共にオーナー経営者に就きました。心から感謝しています」

 小島氏は1952年、東京生まれ。父は東京芸大卒業の音楽家、母方の祖父は東大教授で学者一族だった。恵まれた家庭環境で育ち、小学校から大学まで成蹊学園で学んだ。

 「先祖は新潟県加茂市の出身。祖父は医師で北海道を放浪、無医村の人たちを診て回りました。私が普通のサラリーマンに向かず、社内ベンチャー事業に挑戦したのは、そんな祖父がいたからだと思っています」

 小島氏は1975年、成蹊大学卒業、つてを頼って、現マルハニチロ水産の親会社である大東通商に入社した。「その際、親からもう面倒は見ないよ。後は自分の力でやりなさい、と宣告されました」

 小島氏はサラリーマンは向かないと考え、入社から10年たった頃、「レストランビジネスをやりたい」と思い立った。アフター5を活用し、有名レストランでウエーター修行。2年半後、小島氏に目をかけたのが、創業者一族で専務の中部慶次郎氏(マルハの社長など歴任。故人)であった。

 「何かやってみたいことはないのか。好きなことをやらせてやるよ」と、小島氏に声をかけた。「レストラン事業をやりたい」と答えると、「会社の資金で欧米の人気レストランを見て歩き、ヒットしそうな業態を誘致してはどうか」と、話はまとまった。

 小島氏は6カ月以上にわたって欧米の人気店など、様々なレストランを食べ歩いた。米国には少し滞在し、コロラド大学で英会話の勉強をした。

 こうしてバブル景気に突入する1988年、東京・表参道にシーフードレストラン「マンボウズ」をオープンした。初期投資3億円、店は連日大盛況だったが、初期投資額があまりにも大きく、なかなか回収できなかった。

 この失敗が小島氏を鍛えた。1991年、小島氏は渋谷にブラジルのシュラスコ料理店「バッカーナー」を開業、サッカー人気も追い風で店は大繁盛し、経営を軌道に乗せた。

 「次にアジア・エスニック料理のブームがやって来ると、タイ・バンコクへ。ここでタイ風スキヤキの『コカレストラン』と、本格タイ料理の『マンゴツリー』に出合い、誘致する決心をしました。アポなしで、オーナーのピタヤ氏(54)の所を訪ねましたが、何度も門前払い。諦めずに1週間ほど通って、ようやく会話ができるようになりました」v

 ピタヤ氏は華僑だ。華僑は地縁・血縁・業縁を重視する家族主義をとる。ピタヤ氏は提携するなら、「会社を辞めろ」と迫った。小島氏はマルハの社員を辞める腹をくくり、ピタヤ氏と家族ぐるみの付き合いを始めた。

 1992年、「コカレストラン」(東京・六本木)1号店が誕生、大ヒットした。2002年には「マンゴツリー東京」を東京駅前の丸ビル35階に開店。開業10年以上たつ現在も客単価8000円以上、月商約8000万円を売っている。

 小島氏が親会社から同社を譲り受けるとき、ピタヤ氏が副社長に就任した。小島氏は「今後後継者を育て、世界放浪の旅に出たい」と締めくくった。 (外食ジャーナリスト・中村芳平)

http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20121118/ecn1211180711002-n1.htm